■最終学歴:東北福祉大学
■資格:柔道整復師(国家資格)
■スポーツ:野球
■趣味:美味しいものを食べて楽しくお酒を飲むこと
■マイブーム:アニメを観る事
■夢:社会的貢献が出来るような人間になる事

恵比寿コ・メディカル整体院
院長 大森 将秀(オオモリマサヒデ)

 皆さんこんにちは!大森と申します。

 柔道整復師として恵比寿で整体院をしています。正確に言うと目黒区三田の住所になっております。建物の名称はYEBIS FLATで恵比寿の名称がついていてややこしい感じですが、恵比寿駅と目黒駅の中間に位置しており、住宅街に佇む一軒家の隠れ家的サロンとなっています。

 本日に至るまでの自分の経歴を書かせて頂きます。

 出身は宮城県、3つ年上の兄と二人兄弟です。当時は祖父、祖母、両親、兄の6人家族で、昭和の古き良き時代の典型的な賑やかな家庭でした。当時、小学校の時はバブル真っ最中というのもあり、自営業を営んでいた両親は毎日忙しく仕事をしていたため、日曜日などは祖母と一緒に近所のデパートにいき、屋上の小遊園地で遊んだり、スキーや温泉に連れて行ってもらったりしていました。帰りには、毎回チョコレートパフェを食べて帰るのが楽しみの一つだったのを今でも時々思い出します。

 兄の影響ではじめた野球は小学4年から大学4年までしておりました。高校は仙台育英高校で、実家を離れて寮での生活がスタートしました。チームとしては甲子園に何度かいきましたが、メンバーとしては残念でしたが入れず悔しい思いがしばらく抜けませんでした。ただ、甲子園練習の時に30分間だけでしたが、甲子園のグラウンドで練習することができました。同じグランドの大きさでも、甲子園は物凄く大きく感じ圧倒されました。その時に、本当はダメなのですが、こっそりと甲子園の土を練習着のポケットに持ち帰り瓶詰めしてあります。今となってはいい思い出です。

 大学は東北福祉大学に進学し硬式ではなく軟式野球部に入部、文武両道の精神で励んでいました。

 その後、大学卒業後は一般の企業に勤務しましたが、何となく日常生活に飽きというものがあり、もやもやして生活を送っていましたが、そんな時に何か違う事をしたい、そう思い始めました。そこで、A4コピー用紙に自分の性格や趣味、経歴、夢や希望など・・・自分自身の今までの全てを紙に落とし込んで、何が一番自分に適した仕事かを模索しました。

 本当は医師になりたい気持ちが強かったですが、年齢的なロスを理由に断念しました。そこで、医師ではないがそれに近い職種で出来ることは無いだろうか?と、考えて柔道整復師の資格が浮上してきました。国家資格ですので3年間学校に入りなおして勉強をしなければならない時間を作る必要がありましたが、仕事を退職し専門学校に入りなおしました。

 目標がはっきりとした時の勉強は、こうもスイスイと頭に知識や技能が入るのかと自分自身の新たな可能性も感じつつ3年間の学校を経て、試験も無事にパスして念願の柔道整復師の資格を取得することが出来ました。今までの人生、何となく流れに沿って生きてきた自分にとって初めての充実感があったのを覚えております。

 その後は色々と治療院を巡りスキルアップに取り組みましたが、その中でも山形県にある治療院での経験が今の自分自身を大きく飛躍するきっかけになりました。

 山形県新庄市にあります、「健友館 はら整体院」です。
院長である原吉雄先生のもとで数年間お世話になり、勝手に言ってますが「はら式整体」の手技を学ばせて頂きました。その時は、そんなに凄い手技とは知らずにスキルアップに励んでいましたが、今思えば、都内でもあれほどの技術のある先生とは出会ったことはありません。手技だけではなく、その全てが素晴らしかった。

はら

(※写真 原 吉雄 先生)

 技術だけではない治療家として一番大事な事も学ばせて頂きました。それは、「目の前の人を何とかする」。そういう想いが僕には強烈に伝わってきました。症状に苦しんでいる患者さんを目の前にした時のパワーや包容力、頭をフル回転して対応している姿が今でも忘れません。

僕にとって原先生は追っても追っても追いつかない絶対的な存在で、常に僕を初心に帰らせてくれます。

患者さんを目の前に困っている時、「どれ、ちょっと変われ。」と、今でも聞こえてきそうです。

 話は戻りますが、手技一本で痛みや痺れを治していくのは時として困難にぶち当たります。毎日が思考錯誤の日々でした。そこで気づいたのが、今の自分のスキルではどうしても治すことが出来ないという、事実だけがそこにはありました。誰かの技術をそのままコピーしていては、治せない、そう気づいたのです。

 そこで、治験的ではありましたが、今までのスキルを基として新たな技術開発に取り組みました。一から解剖学、生理学を中心とした書籍を読み返し、基礎からやり直し、手技方法を思考し、患者様に試していきました。技術的に未熟だったその時期に治療していた患者様の事を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。今の自分だったら治せるかもしれないと。

 そのような時期を経て、開発したのが独自の手技「GTOテクニック」でした。GTOとは筋肉のゴルジ腱器官の略称にあたります。脊髄反射を利用し効率よく筋肉などを緩めていく手技です。闇雲に手技を行うのではなく、エビデンスに基づいた手技手法でなければならない。国家資格者としてのプライドがありました。
 患者様の問診時に、エビデンスに乗っ取った手技でなければ説明がつきませんし、自分自身も自信を持って患者様に施術を施せないからです。

 でも、そのGTOテクニックを駆使しても100%はありません。

 しかし、1%でも治せる確率が高いものをご提供する事は当然の義務としてあたりまえの事でもあり、また、今日もその1%の確率を上げる努力と勝負は続いているものと考えております。現況に満足することなく、いつまでも初心を忘れずに患者様の一語一句までも逃さず聞くことも、また明日への飛躍に繋がってきます。

 今日より明日、明日より明後日、常に自分自身のスキルアップを図り、あの時こうしていれば良かったと・・・後悔しないように、まだ見ぬ患者様の希望になれるよう頑張っていかなければならない使命感をもって今日も全力でやり抜いております。

  自分自身これから「何を想い、何を考えて生きていくのか」を、真剣に考えました。柔道整復師として患者様に施術を行う事は「一つの手段」に過ぎません。でも、その最大の武器である整体を通し、人として何かを感じ取ってもらえる、何かを伝えることが出来ると考えております。

 一人一人の人生のストーリーの1つの場面、チャンスを自分に与えてくれた患者様への感謝の念を持ち、一語一句聞き逃さず、見逃さず、患者様が今、何を欲しているのかを真剣に聞かせて頂いております。

 ただの肩こり、腰痛でいらっしゃった方でさえ、真剣に接する事で信頼感が生まれ、人として尊重しあい、楽しい時間を過ごす事が出来る。結果として症状の改善や、ニーズに応える事が不思議と伴ってまいります。

 「袖触れ合うも多生の縁」という言葉を使わせて頂くと、駅や町中で袖が触れただけでも何かの縁があるし、更に、自分が施術する事というのは奇跡的な出会いです。多生とは、何度も生まれ変わるという意味です。もしかして前世でも患者様と出会っているかもしれません。神秘的なお話になってしまいますが、天文学的な縁で出会ったのであれば、出会った意味がお互いにあるはずです。

 それは単に、「肩こりや腰痛を治す」という事だけでは無いと思います。もちろん治すのは絶対的な自分の使命ですが、もっと大きな視点で捉え、「施術は一つの手段」であり、もっと伝えなければいけない事、もっと学ばなければいけない事があるかもしれません。もしかすると、その方の腰痛を治す事だけが自分と患者様が出会った最大の意味かもしれません。それは分かりません。少なくとも自分を見つけてくれて、選んでいただいて、ご来院して、施術を受けて頂いたという事実に多生の縁を感じ、明日はどんな患者様と出会い、お話しし、「患者様の人生のストーリーの一場面に自分が存在していた意味」、を見いだせるかを楽しみに毎日過ごしております。

 このような妄想が止まらない変わった人物ですが、どうかお困りになった事がございましたらおいでください。
 あなた史上最高の結果を出すべく、一生懸命がんばってまいります!

 最後に私の理念、院としての理念である「整体で感動を!」いつまでも、与えられるよう精進してまいります。

 長文失礼いたしました。

恵比寿コ・メディカル整体院
大森 将秀

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